|ω・) 自慰的コレクション
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
カテゴリ:読書メモ( 2 )
読み物メモ
「我々が事物の中で探し求めているもの、事物において我々に直接与えられている以上の過剰なものは、我々の全存在を、二つの部分に分裂させる。すなわち我々は自分が世界と対立していることを意識するようになる。我々は、自分が世界に対して自立した存在であるという態度をとる。宇宙全体は我々にとって、自我と世界という二つの対立する部分となって出現するのである。
 我々の中で意識がひらめくや否や、我々は自分と世界との間を隔てる壁を築くのである。しかしながら我々は、自分がそれでも世界の一部であり、我々と世界とを結ぶ絆が存在しており、我々は世界の外側にいるのではなく、その内側にいる存在であるという感覚を、決して失わないのである。
 この感覚により、この対立の橋渡しをしようとする努力が生じてくる。この橋渡しの中に見られるのは、究極的には人類の全く精神的な努力である。精神的生命の歴史は、我々と世界との統合を求め続けている試みなのである。宗教、芸術、学問はいずれもこの目標を追及している。」


ルドルフ・シュタイナー 自由の哲学 第二章より


前の日記で同じような事を書いた。、自己を思考しようとする時
絶対避けては通れない問題。最も基本的な事、それ故に最も大切な事だと思う。
即ち、 「自分であって自分ではない。だが、自分である。」
自己の確立と世界との調和。生は矛盾を生み続ける。そしてそれを必要とする。
[PR]
by MiraCalix | 2006-07-04 13:57 | 読書メモ
「認識と生の対立」
c0025885_1727757.jpg


認識論=正しい認識が出来るかどうかという問題を動かしているのは
じつは認識それ自身の問題ではない。支配された人間や弱者が、自分のみじめな
現実を打ち消そうとして生み出した「禁欲主義的理想」の真の起源である。
哲学において「認識」とは、つまり「現実の打ち消し」というモチーフを隠している。
それは、生が本来孕んでいる「無秩序と矛盾」を直視しないで、
つねに世界を整理されたものと見ようとする一種の弱さから来ているのである。
認識と生の対立、二つの世界の区別は、その真の性格を露にする。
それは道徳的起源を持つ区別であり、道徳的起源を持つ対立である。


ドゥルーズ



全ての存在は有限、偶然、不可逆であり、あらゆる善悪は比喩である。
変り行く不安定なものである。真理は存在しない。ただ無数の解釈だけが存在する。
茫漠たる混迷の世界、生、それら全てを肯定する者に
嘔吐なしに肯定出来る者に、強い者になりたい。
[PR]
by MiraCalix | 2006-03-26 16:31 | 読書メモ