|ω・) 自慰的コレクション
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へらねえとおいらの 真剣しゃべりば十代
レス長引くのでこちらに書きます(・ω・)ゞ

分かりやすく説明しまっす

先に書いたトーマス・マンの引用文

『人間の認識方法と認識形式を批判して、その絶対の妥当性を疑わしくすることは、
理性にたいして、理性をふみこえてはならない限界、
それを踏み越えると理性の本来の使命をおざなりにする結果になる
限界を示すためでないのだったら、不条理で破廉恥で裏切りになるであろう。』

↑の文は、↓の中世の学者たちの

『時間が私たちの錯覚であって、因果関係と連続とによる時間の経過は、
私たちの感覚の構造の産物であり、事物の真実の姿は足踏みする現在である』

という説について言及した言葉ね。

で、ここでへらねえの話に戻ります
周囲と自己、相互の認識によって存在が成立すると考える世界を仮想します。
そこで終戦に気が付かず、終戦後何十年も森に隠遁した旧日本兵の話を思い出してください
周囲と彼、互いに認識し合わなかったジャングルでの隠遁時間、
彼の存在は幻のように非常に不確かなものです。そして時間が過ぎ、彼が発見される。
発見された後の彼がいくら自己認識のみの過去を語ったとしても、誰が彼を信用するだろう。
仮想世界の住人は現実世界の住人よりも、自分が認識していないものに対して
何十倍も疑り深い筈だからね。それに彼は幻のような不確かな存在だったんだし。
だから真実かどうか検証をしようとする人間が出てくる可能性も低い。
もっとも検証しても、過去の彼と周囲が認識し合うことは
もう絶対に不可能なことだから、検証する意味さえもないかもしれない。
むしろまず最初に、彼に終戦を告げにジャングルに向かう若者がきっと出て来ない
発見されずにそのままジャングルで死んでしまったに違いない。
人間は信じるが故に証明する。つまり現実にあると仮定することで立証する。
これが消失してしまうことで、人間の進歩は停滞してしまう。
未知にある現実は、いつまでも未知のまま、幻のまま。
つまり現実の放棄と言える。


ここでトーマス・マンの文に再び振り返ると

アナーキズム的な捉え方、視点、発想は、
理性にたいして、理性をふみこえてはならない限界、それを踏み越えると
理性の本来の使命をおざなりにする結果になる限界を示すためでないのだったら
自分の理性を幻惑させ、無為と停滞を生む自慰行為だ

と、トーマス・マンは言ってると解釈していいと思うのよ。

自分もその自慰行為なしで生きていける人間ではないです
ただし、境界線を定めることは必要だなと思うわけです。
そう思ってるからって押し付けてるわけじゃないよっ(・ω・)ゞ
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by MiraCalix | 2005-11-05 13:09 | 日記